言いたいことを伝えるのが苦手なのは、ここからくるのだろうか?
だから、自然に紙の上での表現、文章を書くことに向かうのだろうか?
私が創作活動で産みの苦しみを味わうのも、きっと私の魂が地球で経験したかったことのひとつなんだろうなと勝手に思いをはせる。
さらに、私のチャートには「もがきチャンネル」というものがある。「もがきチャンネル」とは、他人が何と言おうと、リスクがあっても、自分の人生にやりがいを求めて挑戦し続ける特性のことらしい。相手のほうから「やってー」とお願いされて力を発揮することから、「招待される必要がある」と言われている。波瀾万丈な人生になりそうだ。
一方、私のホロスコープには月と海王星のスクエアがある。このスクエアがあると「何を考えているかわからない」「心の繊細さが周りの人に理解されにくい」「心のよりどころを探す必要がある」などと解釈され納得できる。
また、幼少期の母親との関係性に問題があるらしい。
他には太陽と冥王星のスクエアもある。
解釈としては、幼少期の父親との関係性に問題があるらしい。
結局、父母両方からうえつけられた価値観、そのもとをたどると両親のまた両親、祖父母、ご先祖の信念体系が潜在意識に刷りこまれている。

また別の記事に書こうと思うが、田舎の地元に住みつづけたいなんて思わないし、地元への愛着はないので、こうなってくると昔家庭運というか、親との縁が薄いと言われたこともなんとなくわかるような氣もする。
両親との関係性やうえつけられた価値観などを見直す必要があり、とてもハードな人生になりそうだが大きく飛躍できるチャンスもある。
チャートの白い部分が多いほどHSS型HSPと関係があるのだろうか?
「2/4プロファイル(にーよんぷろふぁいる)」にHSS型HSPは何割くらいいるのだろうか?
いろいろ素朴な疑問が出てくるとともに、自分のヒューマンデザインを知れば知るほど真逆な人生を生きてきたことに氣づく。
それらの特性に加え、私には自己表現できなかった幼少のころの葛藤、自己価値の低さがあり両親との確執があった。
アーティストや芸術家などを職業にしている人間なら、繊細さや敏感さはよいイメージになり、武器にもなり、アイデア次第で自己表現の豊かさにもつながるのだろう。
翻って一般の職種だと、神経質で扱いが難しく、器が小さいと評価されてしまうことも少なくない。特に昭和や平成の権力主義、物質主義の時代にはよしとされていなかった。見くだされ、仕事ができないやつ、給料泥棒、場合によってはつまはじきにされていたイメージがある。
そのころの私も例に漏れず、そうした風潮を氣にして敏感に反応するようになっていた。だが、心のなかではそんな敏感な自分をずっと否定してきたのだ。
親と仲がよくない子どもは親の顔色をうかがうようになるし、他人に対してもそういう癖が無意識に出る。他人の顔色を意識し、うかがいながら会話することで自分を守ろうとする。
幼少のころの家庭環境が先なのか、それともHSS型HSP が先なのかはわからない。どちらにしても、もって生まれた個性の違いによるところが大きいように思う。周りをあまり氣にしない子どももいれば氣にし過ぎてしまう子どももいる。
私は生きづらかった。傷ついていた。そのことを周りの大人に氣づいてほしかった。だが、言ったところで理解してくれる人はいなかったと思うし、ヒューマンデザインでいう頭と喉がつながっていないせいか、自分はうまく伝えられない、どうせわかってくれないだろうと諦めがあり、周りの影響を受けやすいせいか日々疲れていたため、伝えるというエネルギーすらない子どもだった。
大人になって思うのは、昭和の私の通っていた小学校や中学校は、みんなと同じでなければならない協調性第一主義だったように感じる。きっちりかっちりと同じことを同じようにやること、できるようになることが推奨されていた。今思えば、個性が無視され、そうすることが何よりの美徳だと洗脳するような時代背景もあったと私は感じている。低め安定、そこそこでみんなと同じ、同じ、同じ……窮屈だった。
続く……。

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。
大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。
現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。