HSP・蟹座・ヒューマンデザインを知り「私のままでいい」と思えるまで〜敏感な自分が嫌いだった〜 続き2

自分を知る

子どもは田舎から便利な都会に出て行きたがり、親は親で家は長男が継ぐものだと考え、「家を継ぐ」という発想は今の時代どれくらい通用するのだろうか?

母が「一代でこの家も終わりか……」とつぶやいたことがあったが、家族でそういう話し合いもしないくせによく言うわ!と思ったことがある。

昭和の時代は今よりずっと景氣がよく、目に見えるものがすべての権力主義、物質主義の時代だった。家父長制という慣習で女はこうあるべきだというような風潮もふくめ、ふるまいや行動、考え方が人と同じでなければ陰口をたたかれた時代だ。

今で言うスピリチュアルも社会に浸透していなかった。オカルトや心霊番組などと題して「怖い話」としてテレビでやっていたくらいだ。霊の思いや氣持ちをくみとり、現象から問題を解決に導くような相談者さんの今までの生き方が問われるような精神性を優先するような番組はなく、すべてオカルト扱いだった。

子どものころは学校と両親や近所、親戚やいとこという狭い世界の人間関係、小さな世界しか知らず、その小さな世界が自分のすべてだと信じていた。

誠意のない大人の言葉で傷つき、頭がいっぱいになり、自分と周りを比べては悩み落ちこんだりしていた。今のようにインターネットなんてない時代だったのでなおさらだ。

工場労働という淡々とやる単調作業を選んだのも収入面と自信のなさからだった。自分の個性をまったく探求してこなかったし、やりたいことがあってもかなわなければ、あとは生活のために働けるところで働けばいいやという安易な考えだった。

しょせん、かえるの子はかえると思っていたし、将来のことなど慎重に考えていなかった。あとになって、こういうところで自分を愛する、自分を大切に扱うということができていなかったんだと氣づく。

私と違うタイプの人間からすると、私を暗い性格に感じるだろう。好意的な人だと「あの
人は恥ずかしがり屋だから優しく見守ろう」と氣遣ってくれるだろうが、私の内心はまったく違う。私は誰からも影響されない場所に身をおき、ひとりになりたいと思っていた。

いろいろな刺激を自分から排除するために人と必要以上に関わることをやめ、自分のなかがザワザワしないような時間だけはつくるようにしていた。それも極端にしかできなかった。

本当の意味で自分の本質を知り、ふにおちないと、苦手な部分を補うためだけに人生をささげてしまう。

人の悪意から自分を守ることを優先し、疲れ果ててしまうようなエネルギーの使い方は嫌だ。自分のやりたいことをやるときに、踏んばれるエネルギーが残っていないので人生が思うように進んでいかない。恐ろしい。

苦手な部分を克服しようとしている自分を偉いと思うのはまやかしで、自分が本当に欲して(ほっして)いるのかどうかもわからないような目標に対し、かなったと思うのもまやかしだ。一瞬の喜びはあるだろうが、その目標や目的に近づくたびに自分の個性が失われていくのを実感する。

大抵の場合、そんなときは自分の個性を大切にできていないことや、自分を愛することと真逆の方向へいってしまっていることさえわからなくなる。

いつのセッションだったかは忘れたが、「必ずその時々の出来事に対する感情はあるはずですよ」と言われたことがあった。私はこれは好き、これは嫌という自分の感情がわからなくなるときがあるためピンとこなかった。

ずっと自分の本音をごまかして表現してこなかったのは、自分の本音や感情に流されず淡々とやっていかなければ、精神面でも金銭面でもバランスを崩し生活できなくなるという恐怖があったからだ。

極端に感じやすいため、極端に心をとざす。

あらゆる物事から距離をおくことしか当時の私には考えられなかった。だから、人づきあいはよほど氣分がのらないとしないし、会社の忘年会なども参加したことはなかった。

何も感じたくない。よいことも感じなくていいので、不快なことも感じたくないと思ってしまったことが幾度かある。時とともに、そうした思いが自分の固定観念として深く根づいていったのだと思う。

続く……。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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