小説「ゴールドラッシュ」続き11

梢と希子はいつもソファーの中央に座り支配人の話を聞いていた。
梢には「世の変化や流れに乗る」という支配人の言葉がひっかかった。
この世で変化しないものなんてないんだ……。
梢は寂しくなり、不意に風間との関係に終わりがくるんじゃないかと直感した。
「現状維持は下降のいっとをたどる」という誰かが言った言葉を、梢は思い出していた。
将来ＡＩなどが一般社会に普及したら、このクラブも現金不可になるの？　すべて電子マネーやカードでの支払いになるんじゃない？　見えないから怖い。感覚や感性を研ぎ澄ませていないと、いざというときチャンスをつかみ損ねてしまうわ。
結婚や恋愛というものも味わってみたいという梢の女心をハンマーでたたき割るように、梢をハッとわれに返らせた。
私の本来の目的はなんだったの？　私にとって譲れないものって……？
風間から「お疲れさまでした」と、赤いハートマークがついたメールが届いていた。

二十四歳　十二月
新しい年を迎える準備で、世間はいつもよりせわしなかった。
お店が終わり、梢と希子はいつものピアノバーへ向かった。ふたりがカウンターに座ると、すぐに内田が来て隣に座った。
「あのね。実は私、彼と結婚するんだ」
「えっ、そうなの？」
「うん、この仕事を辞めて鎌倉に住む予定なの」
「結婚式はどうするの？」
「まだはっきりとは決めてないけど、教会で挙げる予定だよ。大震災で何も進展がないから、お互いの友達と彼のご家族や親戚を呼んでさ」
「そうなんだ、おめでとう」
「地元の友達や両親とも連絡が取れないし、かといって遺体が見つからないしさ。落ちこんでいた時期もあったけど前向きに生きていきたいじゃん？」
「うん、私もそう思う」
「それでね、私妊娠してるの」
「じゃあ、ダブルでおめでとうだね」
「ありがとう。結婚式に梢も呼びたいんだけど、大丈夫かな？」
「うん、絶対行く」
「ありがとう。お店を辞めるときはまた教えるね」
希子の清々しい弾む声が印象的だった。
梢は驚いたが素直に言葉が出てきた。梢も内田にひかれていたが、そのことについては何も話さなかった。今の梢にとって、自分の夢をかなえるほうが先だったからだ。
新しい年を迎えようとしている年末だからなのか、ふたりが結婚するからなのか梢の心が激しく揺れた。

二十四歳　四月
近くの公園のベンチに座り、梢は三月に参列した希子の結婚式を思い出してひとりでぼんやりと春の空を見あげていた。平日の昼間はほとんど人がいないので梢にとって落ちつく場所だったのに、意識の矛先はさっきから希子の結婚のほうを向いてざわめいていた。
梢は、スマホで撮った結婚式の写真を見た。白いウエディングドレスに身を包んだ妊婦の希子はとても幸せそうで、喜びが全身からあふれ出ていた。ちょうど、希子からも結婚式の写メが梢に届いた。
希子とはシンクロが多い。いっしょにいるからなのか、ただの偶然なのかわからないが不思議な関係だった。
今鎌倉での新婚生活をスタートさせている希子を思う。結婚の報告を受けたのが去年の年末で、三月に結婚式に参列した。梢にとって、すでに一年の三分の一が過ぎようとしている現実はあまりにも煩わしかった。
柔らかい春の風がいろんな感情を包み込み、梢の足をなぶって通りすぎていった。

二十四歳　七月
もうすぐ二十五歳の夏が顔を出そうとしていた。
今日はダンスレッスンの日だった。
梢はダンス用の新しいシューズが欲しくなり、レッスン前にデパートまで買いにいこうと駅に向かっていた。
風間に別れを切り出すのに家で電話するとしんみりしそうなので、梢は駅まで歩きながら電話をかけることにした。大げさにしたくなかった。
「もしもし梢ですけど、唐突な話でごめんなさい。もうおつきあいは終わりにしたいんです」
「他に好きな男ができたのか？」
「ううんそうじゃなくて、他に集中したいことがあって、それで自分のなかでいったんリセットしたくなったんです」
「そうか、わかったよ」
「すみません」
「仕事中だからまた電話する」
そう言って電話は切れた。
仕事に追われていた風間は今日も忙しかった。「また電話する」と言っても絶対に電話は来ないだろうと梢は確信に近いものを感じていた。
風間とは終わった。わずか一年のつきあいだった。そして、梢はもう自分から電話することはないだろうと思った。もう何もかも完全に切り替えたほうがいい、すべてに待ったなしだと梢は感じていた。

家には帰りたくない。
家に帰ってしまうとまだ整理されていない混乱した自分が部屋を汚してしまいそうで、梢は氣持ち悪かった。
氣持ちを鎮めるほうが先かな……。
今日の事務所のレッスンを休むことにして、都内のホテルを予約した。
｢一泊なんですが、ダブルをシングルユースに変更できますか？｣
｢少々お待ちください｣
｢お待たせいたしました。一泊でしたら空いております｣
運がよかった。

さっそくチェックインし部屋のベッドへと、身を投げだした。無機質なシーツの匂いをひとしきり楽しむと、外の景色を見たくなった。
梢は窓のほうへ行く。赤や青のスパンコールをちりばめたようなあかりが街一面に広がり、東京タワーがはっきりと見えた。単純に美しかった。
田舎は夜二十一時くらいで人々が寝静まり真っ暗になる。それに比べて……。
梢の目には異世界に写った。梢は田舎娘だったころとは違う大きな世界にいて、ここまで頑張ってきた自分をとても大きく感じていた。しかめっ面の田舎娘の梢はもういなかった。
梢はしばらく夜景を眺めた。
この夜景はとてもきれいな人の手で作られた美しさだった。田舎で屋根の上から眺めた星空には、この土地で生きていかなければならないという力強さと、なにか体のなかに染みこんでくるような曖昧なものがあった。違っているからこそ個性がありどちらも好きだった。
心にふたをして言葉にしなかった無数の思いが、梢のなかを駆けめぐった。
家に帰ってしまうと逃げ場のない現実が待ちうけている。
梢はシワのないダブルベッドのシーツに解放感を求めた。