スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

やはり、私はスピリチュアルという分野に関わっていく人間なのだろうか?
HSPであることと目に見えない世界に興味があることは関係しているのだろうか?
そのいっぽうで、ある人には「過去を振り返る必要もない。自己探求は人に何ができるかを探るツールにすぎない。あなたは自分のことを知りたいという欲求が極端すぎる。セッションを受けるより、今は自分で何かを身につけ、それで食べていくことを考えたほうがいい。人生の後半にたくさんの人と関わることになる。今は癒やしの必要はない。心や潜在意識を扱うこと、スピリチュアルセッションはしばらく受けなくていい。何か資格をとり教えたほうがいい」と言われたこともあった。

こうしたスピリチュアルやセラピーのセッションを繰り返すうちに、いくつものことを思い出した。
私が生まれたとき、母は大量出血だったらしく、母から「おまえが暴れたからだ」と言われた記憶がある。いつ聞いても同じ言葉を返された。「波乱万丈な人生になると魂レベルで思って、私は生まれてきたくなかったのかな?」と感じたこともあったし、せっかちで早く生まれてきたかったのかもしれないし、母の体質だったのかもしれない。
私の感覚がまひしていたのか、客観的に聞いていたのか、興味がなく傷つかなかったのかわからないが、あとから考えればひどいことを言うなあと思い返した。時間がたってから気づくということは、普段から自分を大切にしていないという証拠でもあった。
私の心は完全に死んでいたのだ。

幼稚園のころ、みんなで人形劇の人形を作っていたとき、最後の仕上げでニスを塗っていて、そのニスが髪の毛につき固まってしまったことがあった。母が迎えに来るまで教室に残って待っていたとき、もらったサトウキビをかじっていた。
今思うと、なぜサトウキビだったのだろう?……。

女の子らしさが欠けていたのか、他の人がそつなくできることを私はできなかった。長い髪に氣をつけながら作業する行為自体に疎い子どもで、自分を守ることに無頓着だった。そんな自分が情けなかった。
迎えにきた母は私を見て「バカだね」と言った。
私に聞こえているのだから幼稚園児の私に向かって言ったのだ。泣かず反論もしない私の無表情な顔。母の氣づかいのなさに、怒りを感じていたのかもしれないし、悲しみを感じていたのかもしれない。

キツい……。
今書いていても心がキツい……。
やるせなさしかなかった子ども時代は、私にとってシビアだった。
作り笑顔しか手段を知らず、周りの機嫌をうかがってきたからなおさらだ。

私は言葉で冷静に人に説明できるほど、頭のいい子ではなかったため、感情を言葉で表現するのに時間がかかる。感情があふれでてきて、それを処理できずパニックになることもある。自分の感情に巻き込まれて疲れてしまう。
感情をつかさどる蟹座というのも関係しているのだろうか?

母は私の個性を理解できていなかった。私を信頼しての発言だったとすれば、私と母はまったく違う景色を見ていることになる。どのみち、同じ家に住んでいても心はわかりあえていなかった。
母は顔をひっぱたいてわからせるのが愛情だというような、昔のやり方を良しとする考えを持っている人だった。父が手をあげない人だったので、怒っても私に手をあげなかった……みたいなことを母に言われたことがある。

だいぶ大人になってからも、会話中に母に頭をたたかれると思って無意識に右手で自分をかばおうとした自分がいた。頭をたたかれた記憶はないはずだが、自分で思い出さないようにしているだけで何かあったのかもしれない。
自分の記憶と行動がちぐはぐで違和感があった。

私は「あれっ?」と思った。
なぜ、私はこんな態度をとるのか?

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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