スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 終わり

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

そんな怒りをぶつけても母は「五月は帰れるの?」と聞いてくる。その質問の仕方のなかには、帰ってくるべき、帰ってくるのが常識という母の前提が見え隠れする。
また、怒りが私のなかで渦巻く。

昔、夜行バスで帰省したことがあった。もちろん、交通費を節約するためだ。
周囲のほとんどが二十代くらいの若い人だった。
「お金がない若い人と金銭感覚が同じなんだな。私はもう三十を過ぎているのに……」と、自分の人生の進み具合というか、生活レベルがショボく感じられて気持ちが沈んだ。

すると自分を否定する私が顔を出す。
ふとした出来事で心の冷静さを見失うと、その先が見えなくなってしまう。タイミングが合わなくなって、物事がうまくいかないことも知っている。でも、こういうときは自分自身の感情を鎮めるほうが大切だった。「この思いをどうにかして~」「不安だよー」「怖いよ~」とジタバタする自分が私を支配する。

それに対抗するように別の自分が出てきて、違うことを言う。

「もう、せかせか動くのは嫌。人より歩みが遅いと感じてもそう思われても、それはそれでいい。人と比べるという前提自体が間違っているから。葛藤があるだけだから。
もう私は自分が宇宙人であるということが理解できたから。きれいな青い地球という星を目指して降り立った宇宙人だから。あとは、地球での役割や使命を果たし続けるだけ。地球で生きる、人間として生きることはゲームで、みんなが役割を演じるプレイヤーでしかない。成功するための謎解きゲームで、それに氣づくか氣づかないかの違いでしかない。だから早く輪廻の輪からはずれて、生まれ変わらなくてもよくなりたい。自分の星に帰りたい」

顕在意識の自分は、「そんな勇敢な魂じゃなくていいからさー」と疲れていて、「もう地球人には生まれ変わりたくない」と言っている。人間はめんどくさい。

人間が面倒だと思うようになった理由を深く掘り下げてみると、お盆やお正月に親戚が集まったときに、よそ者扱いをされているような違和感を思い出した。
その空気にうまくなじめなかった。いとこ同士で遊んでいるなかにも楽しさはあったが、叔母の娘と相性は悪かった。自分中心で話をまわしていくのがうまい。叔母は外交的で華やかなことが好きな射手座だ。うちの弟も大学は出てるが、親戚中で唯一レベルの高い有名大学に進学したのは叔母の息子だけだと思っていた。娘も看護師になっている。

母が叔母の息子の出身大学は京都大学だと言っていたので、てっきりエリートだと思っていたが、あるとき父との雑談中に「京都大学ではなくて、京都〇〇大学という意味だよ」と言われ、四十代後半になってずっと抱えていた劣等感みたいなものが崩れ、あっけにとられてしまった。母は、ザックリと京都にある大学なので単純に京都大学と言っていたのか、私に劣等感を植えつけるためにわざと言ったのか定かではないが、それと同時に、母の単純に「京都にある大学」というザックリした中途半端な物言い、それを言うことで、良くも悪くも影響を与えるかもしれないからと、口に出す前に頭で考えないことが浅はかで地頭が悪いと思ってしまう。そこに感情を入れないで事実だけを言えばいいのに、余計なことを言ったり、やったり……。

事実を淡々と伝えるほうが一見冷たく感じるかもしれないが、家を建てるときの土地の選び方、骨組みといっしょで、土台になる足がしっかりしていなければいつか家は傾いていくのと同じで、元のもとの発言が違っていたらそれを聞いた人間にも少なからず影響を与える。私のなかで比べるものがあれば、一生私は劣等感を抱えながら生きているだろうし、それをモチベーションにして成功をつかむかもしれないし、自分の子どもにそのような教育をするかもしれない……。

いつのまに勉強していたのだろう?
会うといっしょに遊んでいたじゃん。

受験のために勉強しなければならないっていつ知ったの?
私は知らなかった。

人と関わってこなかった?
……いや、そんなことはない。

今思えば、遊びの会話しかしない人としか関わらなかったからなのか?

いつもきちんと人生を考えてこなかった私、いつもモチベーションが低い自分に悔いが残る。「お金の心配しなくていいなら何やりたい?」と聞かれたら、きっと自分のこれまでの思いを整理するため、ひとりの空間にいたい、引きこもりたいと答えるだろう。

私は幼稚園ころまで、結膜炎やものもらい、中耳炎などの何らかの症状が常にあった。結膜炎やものもらいなどの目の症状のスピリチュアル的解釈のひとつに、

・目上や親とのトラブル。
・見たくない現実ばかり。
・怒りを感じ、もう見たくない。
・自分を信じられなくて見たくない思い。
・もう何も見たくない。
・人や出来事への疑い。
・現状への不満。
・人が誰かを憎んでいる姿。

などがある。

また、中耳炎など耳の症状のスピリチュアル解釈のひとつに「聞きたくないことがある」というものがある。

傷ついた出来事には母が関係していることが多く、(なぜ私だけいつもこうなるんだろう)とやりきれない思いだった。大人になってからも続き、ある日、私が家を出て数年たってから母から突然電話がかかってきて、開口一番「あんた結婚はどうなの?」と言われた。
私の体を心配する言葉はなかった。
口答えできない雰囲気、怖い、HSPなので無意識に広い範囲で情報が入ってきてしまい、何から話せばいいのかわからない、それ以前に自己表現を諦めている感じだった。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

終わり。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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