梢にとって、もうネットやニュースでの批判や仕事での嫌がらせはどうでもよかった。
(自分のなかの広い部屋を奇麗に掃除して、奇麗な花を一輪飾る。そうすれば自分に自信がつく。簡単に手に入れたものは簡単に失う。よく知っていることじゃない。どんなときも自分を信じようと自分を奮いたたせてきた。そっか、ずっと自分を否定して傷つけてきたのは、私自身だったのかも……)
ふと何かを思いだした梢は、自宅に帰ると机の引き出しを開け、昔自分なりに作成した「神様への願い」を書いた紙を取りだし読んでみた。
毎日声に出して読むことで自分の意識が変わり、人生にも変化があるのではないかと思い、二十代のころ梢がアファメーションのように唱えていたものだった。
ーー私にはずっと満たされない思いがありました。その思いをずっとたどっていくと、両親との関係が影響していることに氣づきました。自分の真面目な雰囲氣もあまり好きになれません。
神様、私が満たされるようにしてください。今の私が無理をせず、自分らしさを保ちながらも成功できるように導いてください。
自分を否定したり責める癖が必要以上に出てきたら、そのたびに取りのぞいていつの間にか氣持ちが満たされていますように。もしそのために必要のない思いこみがあるのなら、その思いこみが出るたびに取りのぞいてください。
神様、何よりも私が自分自身を大好きになれるようにあらゆるサポートしてください。
自信がいつの間にかもてるように環境を整えてください。そのうえでありのままの自分を生かしながらも、もっと魅力的になる方法があるのなら私に教えてください。そのために、私をサポートしてくれる人がいるのなら出会わせてください。もっとよい方法があるのなら導いてください。
そして、本音を上手に伝えられるコミュニケーションが身につくようにしてください。私の最終的な目標は、自分を受けいれ自分を大好きになって心から幸せを感じることのような氣がします。私が満たされていない部分がいつの間にか解消していくように何とかしてください。
母や兄、そして自分を信じてくれる人間と足を引っぱる人間、いろんな人間関係を知った梢がたどりついた結論は人に認められなくてもいいということだった。母から認めてもらうために自分の本音を無視する必要はもうない。
子どものころから、周りの目を氣にして自己表現できず、流され反論できなかったことをアホらしいと思いはじめたら、今までの恐怖や我慢してきたことが梢のなかで怒りに変わっていった。
(自分が成しとげたい、譲れないプライドとはなんなのだろうか? そのことだけを頭に入れておけば、いい作品ができ自分も癒やされるのでは?)
梢はいい作品を作ることに集中すること、そして女優として返りざくことが自分のプライドだとしたら、周りの嫌がらせを氣にしている時間がもったいないとさえ思った。
セッションのおかげで揺らいでいたメンタルが安定を取りもどし、梢は復活した。
子どものころの満たされなかったものを自分に与えることを忘れていた。いや、与えられなかったからこそ、与えることを知らなかった。大人になった自分が自分自身を満たしてあげなければならない。あたりまえのことすらもできない大人になってしまっていた。
(何がなんでも、今回の舞台は成功させなければならない。どこかの新聞が意地悪く『舞台降板』と書いていたが、それすらもアホらしい。自分には何もないと思っている自分自身や、傷ついているのにいとこと比べてしまう自分。母の呪縛を前提に自分を見て母の理想になるために奮闘してきた。でも、本当の私は違う。だから、母と折りあいが悪く、家を飛びだした。それは母の呪縛から自分を解きはなつための本能だったのかもしれない)
梢は自分自身を勇敢な戦士とも、心を癒やすヒーラーとも思っていた。
自分の可能性を無意識に信じていて、森を見て木を見ずなところがあり、見た目から自信家に見られる梢のボロボロに傷ついたメンタルがすべて壊され、正しい姿で組みかえられていった。
梢は完全に復活した。表面上は傷ついているかもしれないが、梢の魂の奥底にある繊細で歪な個性を誰も傷つけることはできなかった。歪な個性を守りつづける手は痛かったが、本当の意味で真の部分は誰にも傷つけることができない、迎合しない清らかな部分を梢は確かに作りあげることができた。
幼少のころから敵か味方かわからないさまざまな意図が飛びかっている人間関係のなかで、いつも試行錯誤してきた。本当は華やかできれいで憧れられる胡蝶蘭みたいな存在になりたかったが、自分の本質は、もっと親近感のあるチューリップだった。
(この舞台が終わったら、正式に内田と婚姻届を出しにいこう)
すべての矛盾した梢が、本当の梢を思いだした瞬間だった。何かが梢のなかで変わってゆく氣がした。
三十歳 四月
『吉川梢舞台で負傷、降板か?』という大げさなニュースが流れたせいか、チケットの問い合わせが多く、千秋楽を迎える一週間前に急遽舞台が延長になった。
異例の一週間の延長。これは梢の影響力が映画を主演したときのように大きくなっていることを示していた。
延長の千秋楽を無事に終えた梢は感無量。目に涙がにじんでいた。緊張から解きはなされた瞬間だった。
捨てる神ありなら拾う神ありで、何がどう展開するのかわからないのが芸能界だった。
ひどい嫌がらせのあるなか、稽古も映画以上に厳しくナマモノの怖さを初めて知った梢は、一皮剥け大きく成長していた。
梢は打ち上げには参加せず、そのまま事務所に戻った。
事務所には、梢の千秋楽を観客席で観ていた社長が待ちうけていた。
「お疲れさまです、舞台どうでしたか?」
「よく頑張ったな、感動したよ」
「本当ですか!」
「本当だよ。特に夫を殺すシーン、迫力あったよ。やってよかっただろう?」
「はい。初日はお客さんの視線が怖かったけど、最後のほうはなんか優しく感じました。それに私、強くなれた氣がします」
梢は凛とした誰にも汚されることのない強さをまとった女優の顔をしていた。
「次の仕事はまだ入ってないから、ゆっくり焦らずやっていこう。腕と足のこともあるからな」
「はい。あの、私、結婚してもいいですか?」
「いいよ。仕事が来たらのんびりできなくなるから、今のうちにすませておいたほうがいいだろう」
あっさりと社長は言った。
三日後、内田と梢は婚姻届けを出しに市役所に向かった。そして、梢は都内の自宅から内田の鎌倉へ引っ越し、とうとう内田梢となった。
家に帰り梢は恐るおそる包帯をとってみると、傷痕はきれいになくなっていた。
続く……。
「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。
大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。
現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。