小説「ゴールドラッシュ」続き18

小説「ゴールドラッシュ」 小説

次の瞬間、包丁が母の服を通過し皮膚に刺さり骨を削る手応えが梢の腕に伝わった。梢は鮮血が吹きだし、倒れこむ母の苦しむ顔をボーッと見ていた。無表情だった。
体から抜いた包丁にはむせるような血の臭いが付着し、梢は思わず口元をふさいだ。
梢は取りみだしてはいなかった。まるで、映画で人殺しのワンシーンを演じているかのようで、何もかもがどうでもよくなってしまった。
「今、母を殺してしまいました。すぐ来てください」
梢は救急車を呼んだ。
梢は事情を聞かれる前に病院ではなく、すぐ東京に戻った。
自首するのは、事務所に連絡してからにしよう。世間に流れる前に事務所に言っておかないと。

「私ごとで迷惑をかけることになると思います。すみません、これから警察へ行きます」
梢は社長に向かって深々と頭をさげた。
「わかった、それ以上言わなくていい」
社長は動揺を隠さなかった。
「マスコミの対応はこっちでやるから、何があってもうちと吉川の関係は変わらないからな。氣を落とさず頑張れよ。待っているからな」
「はい、ありがとうございます」
顔面蒼白の梢は、静かに社長の言葉を聞いていた。仕事がすべてキャンセルになるため、多額の違約金がかかり事務所に多大な迷惑をかけてしまうことがわかっていた梢は、焦りから混乱する頭を落ちつけようと何度も深呼吸を繰りかえした。
事務所の仮眠室を借りて、横になった。
そして、目を覚ます。知らず知らずのうちに寝てしまっていた梢が時計を見ると六時間もたっていた。

急いで事務所を出ようとしたとき、梢とすれ違いに事務所の大先輩が入ってきた。CHANELのイヤリングが華やかさを醸しだしている。
「おはようございます」
目が合った梢はあいさつをした。
「おはよう。ねぇ、あなた何したの? びっくりしたわよ」
大先輩女優は、かばんから取りだした新聞を梢に見せた。
新聞には『吉川梢母殺害、銀座ホステスの過去』と、見出しが大きく書かれていた。
「すみません」
「あなた、これから大変ね。でも、全部芝居の糧にすればいいのよ。いろんなことを経験して、すべて味わえばもっといい女優になれるわよ」
「はい」
「この業界変わった人が多いから、あなたを求めてくる人たちもまた出てくるからさー」
「……」
「あなたは独特だからね」
「………………」
「あなたには、女優としてもっと大きくなってもらいたいのよ。他の女優とは違ういいものをもっているからね。悔しいけどさ」
頭のなかはボーッとしていて、大先輩の言葉が右から左に抜けていくだけだった。
大先輩女優の個展はいつも満員だった。
梢がちらりと聞いた話では、大先輩は若いころ失恋して自殺未遂したらしく、スキャンダルにこと欠かなかったみたいだが、そうした過去を微塵も感じさせないくらい芯が通っていて存在感がある女優だった。かっこつけようとする自意識と他者視線を意識する葛藤を越えて、自分を本氣で晒して結果を受けとめてきた人でなければ大先輩のような美しさは体現できないし、表現もできない。
大先輩に比べて、自分はまだひよっこであることを梢は十分承知していた。なぜなら、梢は凛とした美しい人が好きで自分も美しくありたいと思っていたからだ。

その日、梢は警察署に自首した。
誰ひとりとして空を見あげないほど強い西日が眩しい夏の夕暮れだった。しかし、取り調べ室の空間は窓がなく無機質で、皮肉にも梢が受けた事務所のオーディションのときの台本に書かれていた光景と同じだった。
新聞やテレビは、どこも梢の逮捕をひっきりなしに報じ、優弦や内田、風間社長、銀座のお店の人たちや新聞配達所の人たち、兄や一緒に優秀作品賞をもらった共演者たちもすぐに知ることとなった。

取り調べが終わり、検察に送られて拘留期間に入った梢はようやく内田と面会することができた。
内田は「梢に対する氣持ちは変わらないし、出所するまで待ちたい」と真剣な声で言った。一緒に来ていた息子の耀もうなずいた。
そして、梢は留守電が入っていたことを聞いた。
内田は「俺は梢を信じてるよ。梢は女優になるために生まれてきたんだから、服役して出てくるまでみんな待ってるよ。もちろん俺も」という優弦からのメッセージを読みあげた。
梢は黙ったまま膝の上を見つめるしかなかった。
兄や昔働いていた銀座のお店の支配人、以前映画で共演した方やスタッフたちからも心配しているという電話やメールが梢に届いていることも聞かされた。兄のメッセージから母は一命を取りとめたことはわかったが、梢がやってしまったことには変わりなかった。
梢は自宅のことは事務所と内田に、母や実家のことは兄に任せることにした。

サタンリターンが遅れてきたのか、本当の意味で自立した大人になれるのか、梢は見えない何かに試されているような氣がしていた。
(そういえば昔、地元のあの小さな本屋さんで落ちてきた西洋占星術の本に「サタンリターン」の解釈が書かれてたっけ。自分が試される時期だと……)
内田との面会が終わったあと、梢は無機質な部屋でひとり考えた。
(本当の自立ってなんだろう?)
母の呪縛から逃れようとしても逃れられないいっときの自分の感情に翻弄されて、とっさに殺してしまった。私は母が嫌いだった反面、どこかで母に認めてもらいたい、それ以上に認めてもらえるようなことをして母や地元の人間たちを見くだしたかった。自分が玉座に座り高いところから見くだしてやりたかった。今思えば私の言動のなかにはすべて母の存在があった。
(そんなことで自分の人生を台なしにしてしまっていいのだろうか? いいはずがない。感情のとりこになり、そのたびに一喜一憂して自分のエネルギーを消耗させるのはもう嫌だ。すべてを受けいれて、自分のために幸せになりたい…………!)
公判の日、初犯であることや介護疲れなどが加味され、執行猶予つきの有罪判決が言いわたされた。

続く……。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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