小説「ゴールドラッシュ」続き16

小説「ゴールドラッシュ」 小説

一週間後
喫茶店の古めかしいドアを自動扉だと勘違いして待っていた梢は慌てた。
梢は冷えた手でドアノブをまわし店内へ入ると、サングラスを外すと内田を探した。店内は満席だった。
すでに内田が座っていた。
「こんにちは」
梢はマスクを外し内田に近づいた。
「こんにちは。外、寒かったでしょ? なにか頼む?」
「うん」
「すみません」
ウェイトレスを呼ぶ内田。
「ご注文はお決まりですか?」
「私はミルクティーで」
「じゃあ、ミルクティーふたつ」
ウェイトレスはよっぽど忙しいのか、お冷やを出すと、愛想笑いもなくさっさと調理場へ行ってしまった。

梢はコートを脱ぐと、マフラーといっしょに椅子の背もたれにかけた。
「外、寒かったでしょ?」
「うん。今日も鎌倉で撮影なの」
「女優の仕事って大変だね」
「まあね。でも、私この仕事が好きだから全然苦にならないの」
「プロポーズの返事を聞かせてくれるかな?」
「実は私も初めてあのバーで見たときから氣になってたけど、希子と結婚しちゃったから」
心の底からあふれ出た喜びが梢の全身を満たし、外に解き放たれていった。
「ほんと? ほんとに?」
「うん」
ちょうど注文したミルクティーがきたため、ふたりは口をつぐみ、間をおいた。
「ありがとう。耀にも会わせたいからさ、今度いっしょに食事でもしようよ」
「そうだね。前に希子と伊勢原でご飯を食べたとき、耀君とも会ったことがあるんだ」
「へー知らなかった。あぁ、映画。希子とふたりで観に行ったよ。女医の役、かっこよかったじゃん。ハマってたよ」
「ありがとう。六年くらい前だから忘れているかもしれないけど、バーで夢を諦めるなって言ってくれたこと、うれしかったの」
「あぁ、俺も覚えてるよ。自分の名前を知っていたからびっくりした」

撮影場所に戻る途中、昔梢が働いていた銀座のお店からメールが届いた。四月にお店で開かれる創立三十周年パーティーの招待状だった。
自分が働いていたお店が三十年も続いているなんてすごいなあと感心した。
梢はそのパーティーに出席するため、当日は仕事を入れないように現場で待っていたマネージャーにお願いした。
ひどく冷たい真冬の風が、水のように流れていた。

二十九歳 四月
梢が外を見渡すと、薄花桜たちが平凡な風景を豪勢に演出している風景が目に入った。
今日の夜、勤めていたお店の三十周年記念パーティーがある。お店を辞めてから四年半がたっている梢はとても楽しみにしていた。育ててもらった恩を忘れてはいけないと、一カ月以上前から予定を空けていたほどだ。
梢は白い胡蝶蘭の鉢植えとは別に、花束を持ってお祝いに駆けつけた。
胡蝶蘭は梢が好きな花だ。華やかさのなかに凛とした氣高さや芯の強さを感じ、そんなふうになれたらいいなと思っていた。
お店に入ると、懐かしい支配人と梢の知らない女の子ふたりが出迎えてくれた。店内は、たくさんの美しい花々で埋め尽くされ、梢が贈った白い胡蝶蘭も飾ってあった。

「お久しぶりです。三十周年おめでとうございます」
梢は支配人に花束を手渡した。
「ありがとうございます。梢さんは、映画やテレビですっかり有名人ですね」
そう言って支配人はほほ笑むと、目尻に深いしわを刻んだ。
当たり前だけど、みんな年をとっていくんだなぁ。
心にぽっかりと穴があいたような寂しさを感じた。
梢は隅のテーブルに座った。
支配人以外は、女の子たちもボーイも知らない人たちばかりだった。すでに数人のお客がいたが、梢に氣づきチラッと見るとすぐに自分たちの会話に戻っていった。
そっとしておいてくれる心遣いが嬉しかった。
支配人に風間社長も来るのかを聞きたかったが、未練がましいと思われるのも嫌なので断念した。

今年の誕生日で三十歳になる梢は、年齢を重ねるごとに演じる役の幅が広がり、母親役のオファーがあってもおかしくない年齢になっていた。
プライベートでは結婚を前提に内田との交際が始まっていたが、母の介護のため仕事の合間をぬって毎週一、二回は実家と東京を往復していた。日帰りだったり泊まりだったり、二年くらい前からこんな生活を続けていた。それ以外は、母を居宅サービスのホームヘルパーにお願いしていた。
新幹線のなかでは寝ているか台本を覚えているかのどちらかで、梢は心身とも疲れきっていた。

三十歳 八月
止む氣配がない雨。夏の暑さにうだっていた草木が氣持ちよさそうに雨粒のシャワーを浴びていた。新幹線のなかからも、喉が渇いた人間のように草木花々、すべての自然がゴクゴクと雨を吸収しているかのように見えた。恵みの雨そのものを絵画にしたかのようで、なにひとつ無駄なことはなかった。
今日の撮影が中止になったので、梢は急きょ実家の母の元へ向かっていた。

新幹線のプラットホームに降り立つと、ムワーンとした熱気がたちこめた。そして、こちらも雨が降っていた。
実家に向かう道中、夏休みの登校日なのか、梢の高校の制服を着た女子高生が目の前を横切っていった。
ちょっとノスタルジーを感じた梢は、地元の小さな本屋をのぞいてみることにした。梢にとってこの小さな本屋に行くのは、アカデミー賞の授賞式以来五年半ぶりだった。
本棚のレイアウトは変わっていたが、ここで足元に落ちてきた本にであい、西洋占星術というものにワクワクしたことや、田舎娘だった自分が若さと可能性と野望みたいなものでキラキラしていたことを思い出した。
梢の胸に懐かしさが込み上げる。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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