小学生の梢は女優として有名になりたかった。世に出て周りを見かえしてやりたかった。誰も自分を知らない場所で、自分を知らない人と出会って一から人生を作りあげたかった。
中学のころ、修学旅行先で東京タワーを見学した。
(まだ、田舎者丸出しで『東京駅』と書かれた駅のホームの看板の下で、友達とピースして写真を撮ったっけ。よく頑張って周りに合わせていたなぁ)
今となっては恥ずかしいことばかりで、過去をいくら振りかえっても梢は怒りや寂しさしか思いだせなかった。
そんな環境で身につけた楽しそうに見せる愛想笑いは、皮肉にも役を演じる点ではとても役に立っていた。しかし、まだ梢に仕事はなかった。
本名がいいから本名でいこうと、事務所の社長に言われた言葉が梢の頭をよぎった。
心の奥底にあるまだ見ぬ自分の可能性という、とても深く繊細な一面を深い沼から引っ張りあげて、梢は自分の手でこの地上に具現化させたかった。星やライトアップされたあかりのように輝きたいと思った。
梢は化粧台で、鏡に写る自分をぼんやりと見つめた。
鏡に写った梢の顔は口元の法令線が目立ち、顔全体がたるんできていた。
(母さんに似てきたなあ)
梢はとっさに『アメンボアカイナアイウエオ』と、いつも家でやっている滑舌のトレーニングを始めた。
別れというのは夏が終わり秋が始まるころの寂しさに似ていると梢は思っていたが、まだ夏本番ではないのにこの照りつける日射しは、今の状況に似つかわしくないと人ごとのように思えた。
ひとつの時代が終わり
ひとつの時代が始まる
ひとつの出会いが終わるとき
ひとつの出会いが始まる
みんなみんな回っている
みんなみんなうまく回っている
この世のすべてがみんなみんな知っている
この世のすべてが愛しいということ
もうすぐ年号が変わる。
二十五歳 六月
日本全体が新しい年号の話題で持ちきりになっていた。
その傍らで風間社長と別れた梢にチャンスがきた。ドラマの準主役に抜擢されたのだ。顔合わせを入れると、最低でも四カ月くらいはドラマに集中することになる。
ドラマの番宣も兼ね、梢のプロモーションとしてニュース番組で少し特集が組まれることになった。それに関してはうれしかったが、母のところにも、四日前にスタッフがインタビューに行っていたらしい。
(何も聞いてない。余計なことを……)
「もう編集終わってるんでしょ? 母のところだけでいいから早くチェックしたいの。ちょっとスタッフに言ってくれない?」
次にどんな仕事につながるかわからないため、印象を悪くしたくない梢はスタッフに優しく聞いてくれるようマネージャーに念をおした。
急かされたマネージャーは、梢に母のVTRを見せた。
「小さいころの吉川さんは、どんな感じのお子さんだったんですか?」
「あの子は、なんの取りえもないバカな子なんです。私は迷惑かけられっぱなしで、今だって全然連絡してくれないんですよ。でも、あんな子でもようやく人さまのお役に立てるようになったんだと思うと、親としては世間さまに申し訳が立つような、ホッとしたような……。パッとしない子ではありますが、みなさんにかわいがっていただけるように頑張ってほしいです」
これが日本中に流れるのかと思うと、梢は愕然とした。最悪だった。
(娘さんをもっと褒めるエピソードにしてくださいとか、もっと演出があってもよかったのに。スタッフは何も言わなかったんだろうか? これじゃあ笑い者だ……)
毒親の言葉が胸に刺さり嫌な記憶が頭をよぎったが、周りにスタッフがいたため、梢は平静を取りつくろった。そして、結局こんなもんか……と落ちこんだ。
風間社長との別れも、しょせんこんなもんかという複雑な感情があったことは確かだった。そして、今回の母のインタビューの件。梢の潜在意識の奥底には「落胆させられる」という根強い信念体系がこびりついていた。でも、ひとつ手放せばそこに別のものが入ってくる。何ごとも出すほうが先で執着はよくないと聞いたことがある。梢は風間社長との別れを経験したことで、自分の波長というか意識が大きく変わったことを感じていた。男に尽くす おとなしい日本人女性は、性に合わなかった。自分の人生は自分が主役なのだから、男たちを踏み台にして自分の輝きに変えていきたいと思った。
撮影中はいろいろなことがあった。
ある日、梢の耳にうわさが流れてきた。
このドラマの主演はオーディションで決めることになっていたが、最初から主演女優の事務所に直接オファーがあったらしいのだ。
公には、実際にオーディションが行われたが、いい女優がいなかったため彼女にお願いしたことになっている。だが、最初から主演は決まっていた。主演女優の事務所の要望なのか、監督がドラマに話題性を作るため演出したのかはわからない。テレビでオーディション風景が映しだされ、特集も組まれていた。
(演出? ヤラセ? 境界線はどこなんだろう? お金が絡んでいるのかしら? 裏で誰と誰がつながっているかわからない世界ね。だからあの女優はあんなにわがままだったんだ。でも、これが芸能界なのね……)
点と点が線で結ばれ、いい勉強になったと梢は妙な感心を覚えた。
梢のデビューは二十五歳。ドラマであった。
梢は、約七年在籍したホステスの仕事を完全に辞めた。同期だった希子もお店を辞めていたし、ホステスを無理に続ける理由もなかった。お店が終わったあと、支配人と数人の女の子たちが、梢のためにカラオケ店でお別れ会を開いてくれた。
東京に出てきてからがむしゃらに突っぱしてきた梢が、帰り道に夜空をゆっくり見あげることができたのは今日が初めてだった。
都会の空は星がよく見えない分、地上では遅い時間まできらびやかなあかりがつき華やかさを演出しているのかもしれない。そして夜空の星がすべてこの地上に落ちて、個性豊かないろんな光に形を変えているに違いないと梢は思った。
二十五歳 十月
ある日、事務所のマネージャーが梢に雑誌を見せてくれた。
梢がずっと前から憧れていた女性誌の『彼女にしたい女優ナンバーワン』『お嫁さんにしたい女優ナンバーワン』の二部門に梢が選ばれていた。
梢はうれしさを隠しきれなかった。このランキング結果は、先週クランクアップと同時に最終回を迎えたドラマの人気があと押しをしていた。
梢の知名度が一氣に上がり女優としての活躍が本格化すると、勢いはもう誰にもとめられなかった。
梢が働いていたお店の支配人からメールが届いていた。「雑誌見たよ。門出を壊さないよう影から応援するね。閉店にならない限りこの場所にあるから、いつでもお忍びで遊びにおいで」と書かれていた。
梢はとてもうれしくありがたく思った。
続く……。
「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。
大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。
現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。