静寂の心地よさ〜人ごみや締めつけられる感覚が苦手〜

静寂の心地よさ〜人ごみや締めつけられる感覚が苦手〜 HSPの心の中

自分の肌にピッタリ密着し、首を絞めつけられるようなタートルネックが昔から苦手だった。首が太いからだと思っていた。また、チクチクする洋服も苦手だ。乾燥肌で子どものころ、特に冬の時期にタイツを履かされるのが嫌だった。
ピアスを開けたことがあるが、いつまでたっても片方だけ穴を開けたところがきれいにならずただれてしまう。
カジュアルな服装が多く、パワーストーンのブレスレットをつけていたくらいで、イヤリングとか指輪とかアクセサリーはつけないし腕時計もしない。ただ、ブレスレットの石たちが擦り合わさるジャラジャラという音は好きだった。

マスク、耳栓、ヘッドホン、ストッキング、タイツ、ブラジャーの金属のワイヤー……、私を絞めつけるものも苦手だ。靴下さえも足首のゴムがゆるいものを愛用している。時代が自分に合ってきたのか、ワイヤーのないブラジャーが売られているのを見かけるようになったときはうれしかったし、もう昭和や平成の時代に良しとされていたものが覆される時代なんだ、もう地の時代ではないんだとある意味ホッとした。西洋占星術がお好きな方はわかると思うが、すでに風の時代に入っている。個性を否定し、競争させる権力主義の時代、みんなと同じであれという同調圧力、私は好きではなかった。そして、自分の本音をごまかし、周りとうまくやっていくための愛想笑いがうまくなった。

たとえば、開放感がある夏祭りとかにぎやかな雰囲氣は好きだが、カフェの騒がしすぎる音楽は苦手だ。イヤでも耳に入ってくるそういうのは本当にさりげなくがいいし、集中したいとき、他のお客さんの声が騒がしすぎるとお店を出てしまう。敏感さの強度にもよると思うが、自分は集中力がないなあと自己否定におちいってしまう。音が気にならない人は気にならないし…。

四方八方から音楽や人の声が自分の耳に届いたり、文字が視界に入ってきたりしてしまうと、なんとなく聞こえる他人の会話にさえ自分の意識を持っていかれてしまう。冷静に自分の内側を探ってみると、どうやら脳みその処理が忙しくなりイライラしている。目から相手の感情が入ってくるような氣がするので会話も必要以上に目を合わせたくないと思うし、上り下りの隣り合わせのエスカレーターですれ違うときチラッと見られたりするのもなんだか苦手だ。

大人数がいる場所も苦手だ。対面なら、私は複数で話すより一対一の会話のほうが心地いいし、大人数での集団行動も苦手だ。三人くらいがいっぱいいっぱいだ。やはり、私の場合は静かな場所や人が少ないところが落ちつくのだろう。にぎやかなことが好きな人には物足りないのだろうが、コ○ナ禍でマスク着用が義務だったころは、人もあまり話しかけてこなくなったし、人目をさけられるので私はかえって過ごしやすかった。自分の本音がわかった機会でもある。

子どものころから大人数で遊ぶことが苦手だった私は、お盆やお正月に祖父母の家に親戚やいとこが集まり、合う合わないがあるのに子どもたちひとまとめにされて、みんなと仲良く遊びなさいという昭和の風潮が大嫌いだった。現代社会は、ストレートに「嫌だ」という物言いよりも、「苦手です」と言うべきだとする雰囲気もある。でも、ズバッと嫌だと言ってやりたいときもある。

昔強み発掘の診断を受けたとき、私の感覚は間違っていなかったとふに落ちたときがあった。やはり、私はにぎやかな場所より静かな場所がしっくりくるし、人ごみが苦手なことがわかった。絞めつけられるものは苦手で、肌触りがよく柔らかいタオルや毛布が好きだ。

場所で言うと、滝が流れているところや自然のある場所、図書館も好きだ。図書館は知の宝庫だし、ときどき自然の中で過ごし、自然に触れることって大切だと思う。それなりに違和感を感じていた私の感覚は間違っていなかった。年月はかかっても、私と同じように感じている人はいるはずだから。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

終わり。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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