スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 続き2

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

筋肉反射を使いインナーチャイルドを癒やしていくというセラピーを受けたこともある。受胎五日目という反応があり自分でも驚いた。
胎児は身の危険を感じるとへその緒をギュッと閉じて自分を守ろうとするらしいので、母親の感情に何かあったのか、母親が転倒しそうになるなど、体に負担がかかることがあったのかもしれない。生まれる前に何かあった可能性がぐっと高くなった。
まだ受けたことはないが、せっかく手にした手掛かりなので、いつか原始反射を統合するセラピーも受けてみたいと考えている。

まだまだ自分に癒やしが必要だと思う限り、インナーチャイルドを癒やすセラピーにキリがなくなっていく。日常生活に支障をきたすことがなくなれば、癒やされたと思いがちだが、心のなかのモヤモヤが何かのきっかけで出てきて、また日常の忙しさにかき消され忘れてしまうことを繰り返している。浮かんでは消えていく泡沫のようだ。
本来、感情は流れていくものと聞いたことがある。
過去の出来事。
それを経験したときの自分の感情や行動。
今振り返っていろいろと思うことはある。

こんなふうにいろいろな出来事が散らかっていて、それぞれから自分を少しずつすくいあげていくと、幼少期の自分の確たる部分が垣間見えてくる。そこには生きづらさの可能性だけを追いかけているときよりも、ずっと確信めいた自分がいた。

いつも母の顔色をうかがっていたので、大人になっても、つい人に合わせてしまう。きっと周りは、興味のないことは「あの人はどちらでもいいのだろう」と、私に対して思っているだろう。母に「何が食べたい?」と聞かれたときも、「何でもいい」と答えては「作りがいがないなあ」と言われたこともあった。
母に手間をかけさせるのが申し訳ないと氣を使っていたのかもしれないが、つまり私には食への執着があまりない。

私は両親が四十一歳、三十五歳のときに生まれた年をとってからの子どもなので、同級生の親より年をとっている。つまり、他の人よりも両親が早く死んでしまうイメージが怖くて、自分の人生に影響がありそうで、防衛本能が強かったという部分もあった。
もともと感受性が高い蟹座に、HSPという輪をかけた怖がりで内向的な子どもだったことは、いろいろなセラピーでも一致していたので、自分のなかに感覚としてなじんでいる。少なくとも、誰かと比べて肩を落とすようなことはなくなった。

何か言えば否定されると思っていた。
母を困らせたくない、嫌われたくないといった感情もあった氣がする。
前世の影響だけとは限らない。むしろ育った家庭環境からの影響は大きい。

自分のヒューマンデザインを知りたくて、観てもらったこともある。本来の自分を分析して、自分らしさを取り戻すためのシステムだ。
私は、オープンセンター(白い部分)がほとんどで、感情のゲートというものがなく、人の感情に影響されやすいと説明された。

このヒューマンデザインなのでHSPに当てはまるのだろうか?

私は人生の前半、特に幼少期から中学生のころに傷つくことが多かった。自己価値など人生を決定づける基盤ができるころに傷ついてしまうのは本当に大変なことだ。だから、周りの人に対しても自分がいる環境に対しても何より先に安心感を求めてしまう。
自分の中がザワザワするのが本当に嫌だ。公園で遊んで頭をけがしたり、祖母が亡くなったときは家族で父の実家に帰るため卒園式に出られなくて、両親が子どもの私にその流れを説明してくれなかったことにも傷ついたし、自分の中がざわついた。

信頼がないと甘えられない私は、私と見ている方向が違う母を信用できなかったのかもしれない。言葉で伝えることが苦手だったので嫌なことを嫌と言えず、すれ違ったままだった。
だから、とにかくシビアな子ども時代を過ごした。子どもらしくない子どもだった。
親の承諾がなければ何もできない十八歳まで、つまらない毎日の繰り返しだった。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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