スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 続き5

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

人間が面倒だと思うようになった理由を深く掘り下げてみると、お盆やお正月に親戚が集まったときに、よそ者の扱いがあるような違和感を思い出した。母は祖父の前妻さんの娘なので、後妻さんの兄弟たちとは折りあいが悪かったのだろうか?
その空気にうまくなじめなかった。いとこ同士で遊んでいる中にも楽しさはあったが、叔母の娘と相性は悪かった。叔母は外交的で華やかなことが好きな射手座特有のイメージがある。親戚で唯一有名大学に進学したのは叔母の息子だし、娘も看護師になっている。

いつのまに勉強していたのだろう?
会うと一緒に遊んでいたじゃん。

受験のために勉強しなければならないっていつ知ったの?
私は知らなかった。

人と関わってこなかった?
……いや、そんなことはない。

今思えば、遊びの会話しかしない人としか関わらなかったからなのか?

いつもちゃんと人生を考えてこなかった私、いつもモチベーションが低い自分に悔いが残る。「お金の心配しなくていいのなら何やりたい?」と聞かれたら、きっと自分のこれまでの思いを整理するため、ひとりの空間にいたい、引きこもりたいと答えるだろう。

私は幼稚園のころまで、結膜炎やものもらい、中耳炎などなんらかの症状が常にあった。結膜炎やものもらいなどの目の症状のスピリチュアル的解釈のひとつに、
「目上や親とのトラブル」
「見たくない現実ばかり」
「怒りを感じもう見たくない」
「自分を信じられなくて見たくない思い」
「もう何も見たくない」
「人や出来事への疑い」
「現状への不満」
「人が誰かを憎んでいる姿」
などがある。
また、中耳炎などの耳の症状のスピリチュアル解釈のひとつに「聞きたくないことがある」というものがある。

傷ついた出来事には母が関係していることが多く、「なぜ私だけいつもこうなるんだろう?」とやりきれない思いだった。大人になってからも続き、ある日、私が家を出て数年たってから母から突然電話がかかってきて、開口一番「あんた結婚はどうなの?」と言われた。
私の体を心配する言葉はなかった。
口答えできない雰囲気、怖い。
HSPなので無意識に広い範囲で情報が入ってきてしまい、何から話せばいいのかわからなくなる。それ以前に自己表現を諦めている感じだった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

終わり。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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