スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 続き4

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

そんな自分の在り方が少しだけわかってから、身勝手な形で家を出てからの人生を振り返ってみた。今思えば自分の思いだけで行動していた私には、想像して計画的に行動するという知性がなく、衝動的に未来へと突き進んでいけば人生がうまくいくと思っていた。踏ん張る胆力と頑張りがあれば、乗り越えていけると思っていた。

でも、そんな無鉄砲で親不孝な自分に罪悪感を抱き、後悔とともに自分を否定することもあった。だから帰省するたびに両親に合わせて会話したり、手伝いしたり、一緒に買い物に行ったり、なるべく両親と接するようにしてきた。
母はカニが好きなのでカニを買って送ったり、電車の乗り継ぎなどを調べてあげたり、父に誕生日の花を贈ったりもした。昔は両親と食卓で会話するのも苦手だったのに、ひとり暮らしが長くなって年齢を重ねると改めてありがたいと感じるようになったりと、時の変化にいい変化もあった。

母に「五月、お盆、お正月と帰ってこないといかんよ」と言われたことがあったので、お金に余裕がないのに春夏冬と、頻繁に顔を見せていた時期もあった。周りを見てみると、一年に何回も帰省している人のほうが少ないようだったが、後ろめたさもあって私は母の希望に従った。

ある日、「連休は帰省しないといけない」「帰ってくるもんだ」という母の言い方に引っ掛かりを覚える自分がいた。なんとなく、母が寂しくてつまらない毎日を送っているからだと直感した。
そこに氣がつくとフツフツと怒りが込み上げてきた。

母自身の感情で娘をどうこうしたいと言っているだけじゃん!

寂しいならそのように言え!

「◯◯しなければいけない。」というようなものの言い方をするな!

「次はいつ帰れるの?」って聞けばいいじゃん!

そんな怒りをぶつけても、母は「五月は帰れるの?」と聞いてくる。その質問の仕方には、帰ってくるべき、帰ってくるのが常識だという母の前提が見え隠れする。
また、怒りが私のなかで渦巻く。
言葉ひとつ発するにも粗く、母の気遣いのなさが苦しかった。

昔、夜行バスで帰省したことがあった。もちろん、交通費を節約するためだ。
周囲のほとんどが二十代くらいの若い人だった。
「お金がない若い人と金銭感覚が同じなんだな。私はもう三十を過ぎているのに……」と、自分の人生の進み具合というか、生活レベルがショボく感じられて氣持ちが沈んだことがあった。

すると、自分を否定する私が顔を出す。
ふとした出来事で心の冷静さを見失うと、その先が見えなくなってしまう。タイミングが合わなくなって、物事がうまくいかないことも知っている。

「この思いをどうにかしてー」

「不安だよー」

「怖いよ~」

と、ジタバタする自分が私を支配する。でも、こういうときは自分の感情を鎮めるほうが大切だった。それに抵抗するように別の自分が出てきて、違うことを言う。

「もう、せかせか動くのは嫌。人より歩みが遅いと感じてもそう思われても、それはそれでいい。人と比べるという前提自体が間違っているから。葛藤があるだけだから」

「もう私は自分が宇宙人であるということが理解できたから。きれいな青い地球という星を目指して降り立った宇宙人だから。あとは、地球での役割や使命を果たし続けるだけ」

「地球で生きる、人間として生きることはゲームで、みんなが役割を演じるプレイヤーでしかない。成功するための謎解きゲームで、それに氣づくか氣づかないかの違いでしかない。だから早く輪廻の輪からはずれて、生まれ変わらなくてもよくなりたい。自分の星に帰還したい」

顕在意識の自分は、「そんな勇敢な魂じゃなくていいからさー」と疲れていて、「もう地球人には生まれ変わりたくない」と言っている。

人間はめんどくさい。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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