スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 続き3

子ども時代の生きづらさから導き出す、スピリチュアルな自己発見の旅。 スピリチュアルな自己発見の旅〜子ども時代の克服と新たな発見〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

こうして幼少のころのことを整理しながらインナーチャイルドを癒やしていくと、ちょっとだけ自分を離れた視点で観られるようになった。自分の人生を流れとして観られるようになったおかげで、ようやく私は自分への感じ方が自分の人生になってしまうことを知った。

私の育った地域は、校区外だからという理由で、親の承諾だったか同伴がなければ子ども同士で電車に乗ってはいけないことになっていた。高校生になってから初めて通学で電車に乗った私は、定期券で改札を通る自分をすごく大人に感じていた。

当時、サンリオの「はんぎょどん」というキャラクターがマイブームで、十代女子が好むには渋い色だが、深いグリーンの少し柔らかい定期入れがお氣に入りだった。でも、都会の高校生は、制服のままでドトールやマックで友達とおしゃべりしてるんだろうなぁと思うと羨ましさが出てくる。
私にはそういう場所がなかった。

それに、周りの大人を見ていても楽しそうには見えなかった。母親が笑顔でいるからこそ家庭はまわっていくということを母は知らないんじゃないかと思わせるくらい、母は怒ってばかりだった。
母はその時々の感情を口にしているだけ。頭に浮かんだままの言葉が、ポンポンと口から出てくる。

言葉で表現する前に一呼吸おかないのか?
相手の氣持ちを考えないのか?
情緒不安定なのか?

理由はさておき、母には見栄っ張りで抑圧的、早く、早くしろとせかすことも多くて、私をコントロールしようといつも怒っている印象しかない。

口角を上げていても、目が笑っていなくて違和感しかなかった。
私が大人の女性になって、母の人生や育った環境に思いをはせる機会があった。
あぁ、こうやって環境で人格ができあがってしまうんだ。それが習慣や癖になって大人になっても続き、またその人が子どもを産んで負の連鎖が続いていく……と考えずにはいられなかった。

昔に比べたらせかせか急いでいる自分はいなくなったが、ときどき「早くしなさい」と母にせかされている記憶が出てきてせっかちになることがある。ちょっとした雑談の中で、私は自分の代で家系の信念体系や流れを変えるために生まれてきたんじゃないかと両親に言ったこともあった。

頭では理解できても、子どものころを思い出すとまだ悲しみや寂しさ、怒りが出てくる。表現の仕方はいろいろあり、インナーチャイルドという人もいるし、子宮の声、インナースピリットと表現する人もいる。
自分への感じ方が自分の人生になるということは、自分の思いを大切にすれば、それもまた人生となっていくはずだ。そうして、ようやく自分の中にいる私の声に耳を傾けることができた。

母のことより、まず自分を癒やしてよ。
もっとわたしを見てよ。
もっとわたしをかまってよ。

ようやく、もうひとりの小さいわたしの声が聞こえた。
小さな私が大人の私に言っているようにも感じる。

自分を蔑ろにしてきたことに罪悪感を感じると、意識を内側に向けずにはいられなくなり、働きながら毎日自分の周りを清潔に整理整頓しながら生活することができなくなってしまう。自分に囚われたまま、現実を丁寧に生きられるほど私は器用ではない。

夢中になるものとまったく興味がないものに色濃く分かれて、身の回りの整理整頓が後回しになり、バランスよく日常生活を保てなくなる恐怖。そして誰もができるであろうことができず、自己否定が始まりもがく。

何かに没頭し続けたときの自分が怖い。
経済的に崩壊してしまうことが怖い。

そうやって自分の内側に閉じこもろうとする私を、現実を生きる私が引き止める。現実を生きる私が安定していると、ふとした出来事で自己否定する私が出てくる。自己否定する私を鎮めるために、自分の内側に閉じこもろうとする私が出てくる。

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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