インナーチャイルドの癒やし〜セラピーで再会する感情の迷宮〜 続き3

インナーチャイルドの癒やしの旅〜セラピーで再会する感情の迷宮〜 インナーチャイルドと過去世の癒やし

「怒りのままでやってしまっている。怒りにアクセスしてしっかり感じないと、情熱には変えられないですよ。憎しみも愛情と同じエネルギーですからね。母親に対して、憎しみも愛情も両方もっているという自覚が必要で、味わう必要がありますね」

「子どものころに氣づかなかったことも、自分が三十代になって両親の人生を思ったときに、大変だったんだなあ、こういう人生もあるんだなと思い、逆に同情が芽生えてきたんですよ。でも、自分の中に寂しさや悲しみなどもあって苦しかったし、覚えていることもあるし記憶から消した傷ついた出来事もあるだろうし、何とも言えないんです。母親の理想にはなれないし。そう思ってしまうと、どんどん年をとっていく両親を見ていると、私がもっと経済面でしてあげられたらいいのにと思ったり、私にできることは帰省時に元氣な顔を見せるとか、早く結婚するとか…」

「憎しみと怒りをしっかり味わって癒やさないと、前に進めないですよ。お母さんが苦しかったのは、事実だろうがなかろうか関係ないんですよ。自分がどう感じたかが重要なんです。自分が感じたことを100%肯定してあげる必要があります。理屈をつけて押さえつけてきているので、あの時お母さんが忙しかったから仕方ないと蓋をしてしまうと感じられなくなってしまいますよ」
「それは、ふに落ちることではないんですか?父の性格はこうで、母の性格はこうだからと…」

「頭で考えているだけで、何も感じてないですよね。ふに落ちるというのは内臓ですからね。頭ではないですよ。怒りと憎しみを味わいきれるのか? 味わいきれずとめてしまうのか? なぜ、諦めているのか? なぜ、感情をとめているのか? なぜ、自分が言ってもわからないだろうと思うのか? 小さいころは誰に感じていましたか? 言ってもわからないと思うのは、お母さんに対して感じてますか?」
「お父さんかお母さんかだったら、母親だったと思います」

「どんな部分で?」
「私の好きなことや、やってほしいことなど、母が見ている私のイメージが違いすぎるから」

「具体的に何を言っても変わらないという感じなんですか? それは自分のやりたいことに対して? やってほしいことに対して? 言ってもやってくれないことに対して?」

「例えば、自分が部屋にいたいときや自分が本を読みたいとき、何かに集中したいときなど、母は子どもは外で元氣に遊ぶものだと言われたり、母のイメージ通りの娘になってほしかったんじゃないですか?」
「それ以外は否定されたわけですね」

「他には、明るくて活発な性格のいとこと私を比べて、〇〇ちゃんみたいに人見知りしないで、大人とも普通に会話ができる明るくて活発な子どもが好きだったみたいです」
「なるほど。自分のことは好きじゃないんだと感じたわけですね」

「だから、母が言う通りの子どもにならなきゃいけないのかな? でもそういうふうになれない自分もいて、そこでずっともんもんとしていました」
「それに対して怒りは感じなかったのですか?」

「何も感じなかったですね」
「その前から諦めてますね。諦めを観ていく方が先なのかな? 大量にありますね」

大杉ナツナ

「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。

このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。

大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。

現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。

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