数年前の新型コ○ナウイルス感染症緊急事態宣言中は、世のなかには不安や恐れをあおる情報が本当に多くて「うまいなあ」と思った。もちろん嫌みで言っている。
嫌でも自分というものに向き合わされ、内観する日々が続いた。私はひとりでいることが氣楽だったので、まだよかった。
今、私の手元にビオ・マガジンさんから出ているマドモアゼル・愛氏の『月の教科書』という本がある。すごく納得できるし面白い。ホロスコープの月の解釈のひとつに「月は欠損を表し、自分にはない要素なので、月が表すものを求めてしまうと苦しくなる」というものがあり、私の内側にある疑問が一氣に解決し精神的に楽になった。
通常のホロスコープでは、月を「無意識な反応パターン、潜在意識、感情、本能的な欲求、安定への欲求」などと解釈する。それもあって、月には「生まれつきの本質を意味する天体」というイメージをもっている。
しかし、マドモアゼル・愛氏は「月は、七歳までにつちかった見せかけの能力を与えるのみで、それ以降は成長がないように人間を縛っている」としている。
これは七歳までの能力は、子どもが大人をまねしたものという意味らしい。
確かに七歳までの出来事や環境で得られるものを考えてみると、疑問に思うことなく吸収してしまうように思える。それが本来の自分、「自分はこんな人間です」という解釈につながるのだろう。自身で考えて獲得した能力とは違うので、それ以降の成長がないのに自分にはその能力があると勘違いしてしまう。
だから、本物ではないのに自分へのイメージとして執着し、生涯つきまとってしまう。
私の月星座である乙女座の部分の説明を読んでみると、「月乙女座は、ものを保管、管理、長持ちさせることができないため、物持ちが悪くなる。整理整頓、清潔、きちんとする、そうした能力が欠損している」などと書かれている。月星座が乙女座の人は物を長く大切に使うという「保つ、管理する」ことができないらしい。
なんだかふに落ちてしまった。
生きていくのに一番必要なものが欠けているではないか!
また、マドモアゼル・愛氏の他の記事には「きれいに包装されているものを、後先考えずビリビリに破り、汚らしい開け方をする」と書かれている。
そこまでではないが、言わんとしていることはわかる。
確かに数枚たたんだ包装紙のストックがあれば、あとはいらない。どうせ捨てるのだから中身に傷がつかなければいい。だから、毎回ラッピングの包装を丁寧に開けてたたんで、あとで使おうとは思わない。畑などで採れた野菜など、ちょっとしたものを包んだりするために包装紙を保管しておくが、管理が苦手なので使わないまま放置される未来が見え隠れする。
幼稚園のころを思い出してみると、絵の具セットを開けたらパレットに少しカビが生えていたことがあった。パレットを洗ったあと、きちんと拭かなかったのだろう。
当時の私は、なぜ自分だけがそうなるのかわからなくて、かと言って誰かに聞いてみるという選択肢も思いつかずに終わった。
苦手ではなく、もはや本質的にできないというレベルのようだ。当然お金に関することも含む。月星座の欠損からきているのかわからないが、まさに管理ができない、だから奇麗に保つこともできないというのは月星座の欠損の影響だと思っている。
単純に感じてそこで終わる。私は何に対してもそうだった。
他にも、髪を結んだり髪型を工夫したりして外見を清潔に整えるなど、あまりおしゃれに興味がなかった。だから、自分にどんなものが似合うのかわからなかった。
ある意味、服装には無頓着で、単純に自分の好きなものを着ていた。似合う似合わないを考えていなかったので、子どものころの写真を見ると服装がちぐはぐなものがある。自分の外見を清潔に保つという意識、保ちたいという意識もあまりなかった子ども時代だったように思う。
しかも、私の髪質は太く毛量が多かった。それに癖毛。縮毛矯正という技術がなく、ストレートパーマしかなかった時代、なぜ私は人と違うのかとコンプレックスがあった。
続く……。
「自分を深く知る」ことをさまざまな角度から探求し、自分を癒やしていく過程で、生きづらさの原因がHSPという特性であることにたどりつきました。
このブログはHSPという特性に向き合いながら、結婚と天職を手に入れるまでの心の深海潜水夫記録です。
大人になってHSPを知り、ふに落ちた過去の思いを忘れずに書きとめておきたいと思い始めました。小説も書いています。
現在、工場で働くHSPアラフォーです。
あくまで、個人的考察です。